「木を植えた男」

 

 「木を植えた男」はフランスの作家ジャン・ジオノの短編小説である。

  〈 あらすじ 〉
  この物語は、「私」の回想という形式をとる。

  40年ほど前の1913年6月、フランスのプロヴァンス地方の荒れ果てた高地をあてもなく旅し
  ていた若い「私」は、この荒野で一人暮らしをしている寡黙な初老の男に出会う。

  近くには泉の枯れた廃墟があるだけで人里もないことから男の家に一晩泊めてもらうことになった
  「私」は、男がドングリを選別しているのに気付く。手伝おうと進言した「私」だったが、男は自
  分の仕事だからと言って断る。

  翌日、男がこの地で何をしているのか気になった「私」は、もう1日ここに滞在したいと言うと、
  男は構わないという。はじめは散歩と称して男の後をついて歩いていた「私」だったが、男から
  「何もすることがないなら一緒に来ないか」と誘われて、男と連れ立って荒れた丘へ登る。そして
  男は、前日選別していたドングリを植える。

  「私」は男に様々な質問をし、男はそれに答える。男の名前がエルゼアール・ブフィエであること、
  55歳であること、かつては他所で農場を営んでいたこと、一人息子と妻を亡くしたこと、特別に
  することもないのでこの荒れた土地を蘇らせようと思い立ったことなど。

  ここが誰の土地かは知らないが、3年前から種子を植え始め、10万個植えたナラの種子の多数は
  駄目だったが、1万本ほどは育つ見込みがあるという。ナラ以外の植樹も計画していると話すブフ
  ィエと「私」は、その翌日に別れた。

  翌1914年から第一次世界大戦が始まり、従軍した「私」はブフィエを思い出すこともなかった。
  5年後に戦争が終結し、わずかな復員手当てを貰った「私」は、澄んだ空気を吸いたいという思い
  から、再び1913年に訪れた荒野へ足を運ぶ。ブフィエや彼の植樹活動のことを思い出しながら
  廃墟を過ぎ、かつての荒野に近づいた「私」は、荒野が何かに覆われているのに気付く。

  ブフィエは変わらず木を植え続けていた。戦争のことなど全く気にせず木を植え続けていたという
  ブフィエの言葉に、「私」は納得する。「私」とブフィエは連れ立って、10年前の1910年に
  植えられ、荒野を覆うように育ったナラの森を歩く。「私」の背丈より高く成長したナラの木々に、
  「私」は深い感銘を覚える。ほかにも「私」が従軍していた1915年に植えられたというシラカ
  バの森は、「私」の肩のあたりまで成長していた。

  1920年以降、「私」は年に1度は必ずブフィエを訪ねるようになる。ブフィエの計画は常に成
  功したわけではなく、1年がかりで植えたカエデが全滅するなど悲劇に見舞われることもあったが、
  ブフィエは挫けることなくひとり木を植え続ける。木々の復活はあまりにゆっくりとした変化だっ
  たため、周囲の人間はブフィエの活動に気付かず、ときどき訪れる猟師などは森の再生を「自然の
  悪戯」などと考えていた。また、森林保護官が「自然に復活した森」に驚き、そこに住むブフィエ
  に「森を破壊しないように」と厳命するなどの珍事まで起こる。しかしそういったことも関係なく、
  ブフィエは木を植え続ける。

  その後も第二次世界大戦など様々な危機があったが、「私」の友人である政府役人の理解と協力な
  どもあって、森は大きな打撃を受けることはなかった。ブフィエはそれらも気にせず木を植え続け、
  いつしか森は広大な面積に成長していた。森が再生したことで、かつての廃墟にも水が戻り、新た
  な若い入植者も現れ、楽しく生活している。しかし彼らはブフィエの存在も、ひとりの男が森を再
  生したことも知らない。

  ブフィエは1947年、バノンの養老院で安らかに息を引き取った。
  ブフィエは後年「希望を植え幸福を育てた男」と呼ばれました。
                                   (ウィキペディアより)